【SumaCafe 記事内容】

近代の須磨を語るとき、武庫離宮造営に集大成される「近代別荘文化」は看過できません。明治期から多くの別荘が建てられた、その源は奈良・平安時代にさかのぼると考えます。 須磨は海と山などが豊かな自然と史跡・歴史文化に恵まれた街です。ですから、万葉集や古今和歌集にも多くの和歌が詠まれ「歌枕・須磨」は全国的にも有名です。
在原行平は九世紀中頃しばらく須磨に滞在し、風光明媚な景勝と人々との触れ合いにより、心身ともに癒されたと伝えられます。その一方、紫式部は『源氏物語』執筆の折、その構想に悩み、一人石山寺にこもります。その時、前を流れる瀬田川の水面に映る月の輝きに感動して、「須磨の巻」から滾々と溢れて来るように書き進めたと注釈書『河海抄』は記します。それ以来、須磨は「月の名所」ともなり、平安貴族たちの憧れの地となりました。その結果、多くの歌人たちは、須
磨を訪ねることなく都で「歌枕・須磨」を詠み、まだ見ぬ須磨の風情を実感します。小倉百人一首で有名な源兼昌もまたその一人です。
このような憧れの地・須磨は、数百年の時空を超えて、明治二十年代には、外国人や財界人そして皇族が訪れ、この憧れの地に邸宅を構えました。それは古来の歴史文化とともに、温暖・良好な気候と清浄な空気そして景勝が再評価された証左です。明治二十五年には英国人鉄道技師ジョンホールが一の谷・通称「異人山」に邸宅を建てました。



西海先生の紹介

・兵庫大学附属須磨ノ浦高等学校の国語科の教諭 

・大学・大学院で『平家物語』を研究


・NPO法人「須磨歴史倶楽部」に所属、参加者を募って、一ノ谷などのウォーキングを行っています。


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