
6月6日(金)聖徳太子御命日の月例礼拝を行いました。
アリーナに全校生徒が入場しました。2年生の聖歌隊にとっては初めての月例礼拝です。この日までお昼休みを中心に練習を重ね、美しい歌声を響かせてくれました。

法句経の朗読の先唱は、3年3組の副委員長、小笠原 加純(おがさわら かずみ)さんです。しっかり、堂々と、丁寧に朗読できました。

本日は浄土真宗本願寺派の正寿寺(しょうじゅじ)(神戸市)の棘 悠(いばら ゆう)先生からのご法話でした。
先生ははじめに「意識的に行う悪いことと、無意識に行う悪いことではどちらが悪いことでしょうか?」とわたしたちに問いかけられました。
一般的には意識して悪いことをすることの方が悪いという答えが多く出ると思いますが、無意識に悪いことをすることの方が実は悪いことなのですと私たちに語りかけられました。
なぜ、無意識に行う悪いことの方が悪いのかということを、先生は自分に起きたことを例にして私たちにわかりやすくお話をしてくださいました。
無意識に行うことは自分では気づかないことであって、私たちはそのことに気づかない限りずっとその悪いことをし続けてしまいます。
そんな時に、私たちに寄り添って「悲しいね」と言ってくださる仏さまが阿弥陀様であると教えてくださいました。

また、先生は、阿弥陀様は私たちに自分自身のものさし(価値観や考え方)を問いかけてくれる存在でもあると教えてくださいました。
私たちは自分のものさしで「善いこと悪いこと」や「正しいか正しくないか」を考えます。そのことがエスカレートしてしまうと、争いごとや戦争がおきてしまいます。
そして、私たちは正しいと思って行ったことによって知らないうちに相手を傷つけてしまうということがありますが、そんな私たちにも寄り添い、気づかせ、救ってくださる仏さまこそ、阿弥陀様であると教えてくださいました。
私たちは自分が正しいと思ったことは間違ってないと思い込んでしまいます。そして、私たちの「ものさし」は時代や国が変わればどんどん変わっていきます。そんな時私たちに「間違っているぞ」と罪を告げるのではなく、私たちのそのような姿を見て「悲しいね」と優しく寄り添ってくださるのが阿弥陀様です。

仏教は気づきの宗教だともいわれています。仏さまの変わらない「ものさし」をいただき、自分のありようを知らされることに気づかせていただけたご法話でした。